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まりちゃん その3

2008/9/23   15:41 

当時、私はといえば1日は24時間、手ぬるいことは誰でもするがモットーでした。

(大変な時代でした)仕事が忙しく毎日残業をしていた寒い頃、夜中の2時頃まりちゃんが貝掘りに行きたいと言いだし、即、行こうかということになり、4人残業をしていたが、懐中電気が2つしかなく、それとビニールの袋とドライバーか何かを持って1時間くらいかかる蒲江まで貝掘りに行きました。

海岸に行くまでに人家を100メートル位通るのですが、うれしくてハイになった彼女がそっと通り抜けなければならない場所だのに大きな声を出し、彼女の口を押さえて、ガムテープ持ってくるの忘れたと言いながら通り抜け、寒さに凍えながら2人1組で1人は懐中電気を照らし、1人は、貝を掘り世の中が寝静まった頃、世界の人たちのしないようなこともしました。

いくらも掘れなかったこの貝はまりちゃんとこの朝のみそ汁の実になりました。
 
大人3人を子供に返らせたまりちゃんだけでなく、4人共通の忘れられない子供に負けない思い出です。

遊びに行く車の中で悩みや、つらさや、いろいろ話し合いました。親子と言ってもいいくらいですし、お母さんも亡くなっているのでどうしても、親的な言葉になります。

うれししい時ってどんな時とか、人にしてあげて喜ばれたときの気持ちとか、神様だったらどう思うとか、人はどう言おうと心が錦だったらいいとか、ものの見方、思い方、プラス思考、前向き、ありがとうの心。

私の子供よりまりちゃんに教えたように思えます。

 
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まりちゃん その2

2008/9/16   11:53 

自分の仕事は自分の責任でやるようになり、彼女は胸を張って写植オペレーターをこなしました。

まりちゃんは、おばあさんに料理の手ほどきを受け、自分でも創意工夫して忙しく働く私たちにご飯やおかずを作ってくれました。

彼女は料理の味付けもうまかったが、心が添えられていました。真心を添えていました。

まりちゃんの作ったケーキは絶品です。おかげで店で買ったケーキが食べられなくなってしまいました。

外食でおいしいと思うものを食べると、即まりこ流にして無添加品を使って作ります。(私も、まりちゃんも限定が無いから2度と同じ味にはなりません。これ何?ということもありです) 

私の子供に「まりちゃんを見習いなさい、してくれることに心も添えてくれているでしょう。何でもするときは心も添えて」。と言っていました。

バブルがはじけ、印刷界も様変わりし、コンピューターの時代になり、彼女は私が内職の人にワープロを教えて仕事を手伝ってもらっていたら、人に教えているのを聞いていて、自分のパソコンを買っても、ほとんどが分かっており、分からないところだけ私に教えてと。

結局彼女もできるようになり、写植の仕事はなくなり、最終的には内職でしてもらうようになってしまったが、その内職の仕事もなくなって、パソコンのオペレーターはみな止めて貰うことになり、私も5年前に廃業しました。

でも彼女は自分の里のように私とこに遊びに来ていました。

仕事をしているときから、遠くに遊びに行く時、温泉に行くとき、神社、例えば熊本の日の宮幣立神宮(私は神社参りが好きでしたので)いつも連れて行っていました、ひどいときは福岡の親戚の泊りがけの法事にまで連れて行きました。
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まりちゃん その1

2008/9/5   12:17 

さて、私のことではありませんが是非聞いていただきたい娘がいます。と言っても今年51歳です。

まりちゃんと言います。脳性麻痺として生まれましたが、天性の明るさと、誠心誠意が彼女を50歳にして人生に大きな花を咲かせました。人生は捨てたものではありません。

今は日本のまりちゃんになっています。このことを誰よりも一番喜んでいるのが私です。私が印刷業を営んでいた当時、彼女は26歳の時から17年間勤めてくれました。 

彼女には言語障害があり、うれしくなったり、気分がハイになると声が高音になります。手も右手はどうにか握ることができますが、左手は握れません。

でもこの彼女を私は厳しくしごきました。できないと言うな、こうしたらどうか、ああしたらと考えて、努力して、頑張りなさいと。 

彼女は、毎日今日で止めよう、今日で止めようと思って過ごしたそうです。当時彼女は写植といって印画紙の入ったかまに文字を拾って印字し、最後に現像して、やっと現れた文字となります。そんな仕事を写植オペレーターといいます。 

現像されるまではイメージだけで、かまの外側にただここに打ったという印の点が付くのみの結構大変な仕事でした。(もう今時写植などという機器は存在していないと思います)暗室でかまという遮光された中に印画紙の頭をバネで止め、指紋が付かないようにたぐり印画紙の下を止める器具で止めなければなりません。

どう考えても彼女にできる操作ではありませんでしたが、こうして、こうしてと見せながら説明して最初は私がして、入れ替えるときは私がしてあげるからと言いました。

確かに何回かは私が入れ替えてあげていました。そのうち自分でするようになり、びっくりした私は一緒に暗室に入り、することを見ていました。

バネを押さえられない彼女はバネの代わりにセロテープで固定し、印画紙をたぐって下もセロテープで止めました。だからその分、印字の位置もずらせてと、ちゃんと彼女流にやっていました。エライ!! 拍手。でした。
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